伝説の日本刀:七星剣
七星剣とは、中国の道教思想に基づいて北斗七星をかたどった日本刀のことを言い、破邪や鎮護の力が宿るとして儀式などに用いられました。
多くは日本の寺社仏閣に保存されていましたが、現在では博物館に寄贈されているものも多く、だれでも観覧することが可能となっています。
四天王寺に所蔵されている日本刀の七星剣は外観が直剣で長さは62.1センチメートルで、切刃造りの鉄の剣となっています。
1952年3月29日に国宝に指定され、名前の由来はその刃に北斗七星が描かれていたためで、ほかにも雲形文・三星文・竜頭・白虎などが描かれています。
聖徳太子の佩刀と考えられており、現在は東京国立博物館に寄託されています。
ほかにも法隆寺には聖徳太子が幼い時に守り刀として使用したものや、正倉院に収められており、竹で包んだ鞘に隠された仕込み杖の呉竹鞘御杖刀などを含めて、日本には8種類の七星剣が存在します。
正倉院の内部には当初8本の剣がおさめられていましたが、藤原仲麻呂の乱で持ち出されたことによって現存するのは3本のみとなっています。
伝説の日本刀:三日月宗近
三日月宗近は平安時代に作られたとされる日本刀の中でも太刀と呼ばれる種類に属するものです。
童子切や鬼丸などとともに天下5剣の1本として日本刀の中でも名刀と言われました。
平安時代の刀工三条宗近の作品で、刀身に鎬と反りのある形の日本刀の中では最も古いとされています。
細身で程よく反っている刀身という外観が天下5剣の中で最も美しいという評価を受け、名物中の名物と呼ぶこともありました。
三日月の号の由来は刀身に三日月の形を見ることができるためです。
刀身は約80センチで反りは2.7センチの刀で、細身で反りが大きく刀身の鍔元が広い割に切っ先が細くなっていることから、日本刀の美しさの見本となりました。
三日月宗近の伝来については諸説あり、残っている最古の歴史は、豊臣秀吉の正室であった高台院が所持しており、1624年になると遺品として徳川秀忠に送られて以降は徳川将軍家の所蔵となったことです。
これ以前にどのような経歴があるのかについては確かな資料がありません。
1933年1月23日に重要文化財に指定され、1951年には国宝に指定されました。
現在は東京国立博物館に寄贈されているため同館の所蔵となっています。