伝説の日本刀:不動国行
不動国行は戦国時代の大名であり天下統一を行った織田信長のお気に入りの日本刀でしたが、信長の手元にあった期間は意外に短く8年ほどでした。
この日本刀が制作されたのは鎌倉時代中期の1259年頃のことと言われています。
現在の京都である山城国で来国行という刀工が作ったものですが、現在は行方不明となっています。
来歴は足利将軍家から信長・秀吉・家康というものでその後1937年に重要美術品に認定された後は徳川家の公爵が所持しているはずでしたが、現在は行方が分かっていません。
外観は太刀で銘には国行という文字が彫られています。
刃の長さは1尺9寸3分5厘で約58.63センチとなっており、刀身の腰部の表には剣の周りにとぐろを巻いている龍の彫刻があり、裏には岩上立不動明王の彫刻がなされており、この不動明王の名前をとって、不動国行と名づけられました。
この刀に関するエピソードとしては、織田信長のものが有名で、彼が歌った「不動国行、つくも髪、人には五郎左御座候」という歌からは、名物茶器の九十九髪茄子の茶入れと一緒に愛した一品であったことがよくわかります。
伝説の日本刀:九字兼定
九字兼定は美濃の二代目兼定の手によって作られた名刀のひとつです。
1805年に山田浅右衛門によって作られた懐宝剣尺という書物によると最上大業物、つまりこの上無く切れ味に優れた大名物として分類されています。
作られたのは1513年のころとされておりかつては所在が明らかになっていたのですが、博物館などに所有されているわけではなく個人が所有する日本刀であったため、現在の行方は分からない状態です。
日本刀としての特徴はいくつかありますが、最も大きい特徴となるのは裏銘として刻まれた「臨兵闘者皆陣烈在前」の九文字の漢字です。
これを約すると「兵の闘いに臨む者は皆陣烈の前に在れ」となり、ルーツは密教における真言にあります。
密教における真言の一つとして「臨兵闘者皆陣列在前」というものがあり、九字兼定はこのうち列の字を烈に変えて裏銘として刻んでいるわけです。
意味合いとしては「襲いかかる者に対して立ち向かい、これに打ち勝とう」といったものであり、誰かを守るために戦に臨んだ兵士が胸に抱く、勇気を奮い立たせる言葉となっています。